話が落ち着く期を見計らっていたかのように、ミルフィーユパイとカフェオレが運ばれてきた。
Kさん笑顔がさらに輝いた。

「話の途中ですけど、食べてもいいですか?」
僕が頷くのを確認すると、Kさんはミルフィーユパイを丁寧に切り分け、一口ずつ美味しそうに味わった。

その様子を見て、僕も同じものを注文してみればよかったなと少々後悔していた。
Kさんはどうやら食べることに専念するようすだった。
その様子をじろじろと見ては失礼だと思い、外の風景に目を移した。
木々がギッシリと詰まっている庭園。
緑が満ち満ちている。

実に陳腐な表現だと思いながらも、都会のオアシスという言葉がジグゾーパズルの最後のワンピースのようにピッタリと嵌ると感じた。
Kさんは食べ終えると「ごちそう様でした。美味しかったです」と言って満足げな表情で両手を合わせた。
そして、カフェオレを一口飲み「話を再開してもいいですか?」と尋ねた。
僕もカフェオレを一口飲み、Kさんの話を促すように頷いた。

「パソコンで生放送を始めるようになったのは、私と同じMtFのミクちゃんの放送を見たのがきっかけでした。
私は以前からネット依存傾向がありました。
それには理由があって、MtFやFtMの人達のホームページやブログを見て、文字でコミュニケーション、情報交換をすることが私の気持ちの拠り所だったからです。
リアルの生活の中で本当の自分のことを話す相手がいない私には、ネットは無くてはならない存在なのです。
ネットでの交流の中でミクちゃんという方が、生放送というものをしているという事を知りました。
その放送をはじめてみたとき、私はとても大きな衝撃を受けました。
ミクちゃんはゴスロリファッションに身を包み、顔を出して放送をしていたんです。

それまで私はMtFであることは隠す事であって、アパートの部屋の中で完結しなくてはいけないと思っていたんです。
でもミクちゃんは個人情報は伏せたとしても、ありのままの自分を画面に、ネット上に公開している。
凄い事だと思いました。
それからミクちゃんの放送に頻繁に遊びに行くようになり、スカイプでお話をするようになりました。
今までの人生で、こんなに自由に本当の自分をさらけ出してお話したことはなかった。
やっと、やっと見つけることができた私の居場所でした。

でもミクちゃんは福岡県に住んでいるので、実際にはお会いしたことはありません。
スカイプと生放送の関係です。
それでも私にとっては親友と呼べる人であるし、掛け替えのない存在です」
ここでいったん話を切り鞄からスマートフォンを取り出し、ある画像を僕に見せた。
「ミクちゃんです。可愛いでしょ」
確かにと思った。
Kさんとはまた違う、可愛らしいタイプの女性らしさが感じられた。
だがやはり先入観からか微妙な違和感は否めなかった。
スマートフォンを鞄にしまうとKさんは話を続けた。
「で、ある日、ミクちゃんの強い勧めで、私も生放送を始めることになりました。
放送開始当初はマスクをしていたのですが、1ヵ月後ぐらいには放送に慣れてマスクを外しました。
ミクちゃんとはお互いの放送に遊びに行ったり、スカイプでお話したりを続けています。
それは全然問題ない事なのですが、ある日、ミクちゃんから彼氏がいるという話をききました。
その時私は変にプライドが働いてしまって、実は私も彼氏がいるのだと嘘をついてしまったんです。

そしてミクちゃんが放送で彼氏さんを紹介しました。
その時彼氏さんはマスクをされていたのですが、本当に仲がいいのだという様子が画面から伝わってきました。
そして私は、どうしよう……と思いました。
私の彼氏も紹介して欲しいと言われるに違いない、そう思ったからです。
案の定でした。
ミクちゃんとスカイプで話す度に、どんな人なのかと尋ねられるようになりました。
しばらくはシャイな人だからとか、ネットには興味のない人だからと誤魔化していたのですが、ある日、私の放送に遊びに来ていたミクちゃんが、私に彼氏がいるという事をコメントで書いてしまったんです。

放送では彼氏のことには触れないで欲しいと言っていたんですけれど、その時のリスナーさん達のコメントの流れで、そうなってしまったんです。
放送終了後にスカイプでミクちゃんは何度も謝ってくれましたし、悪気はなかったと思うんです。
私が嘘を付いてしまったことがいけないんです。
でもそこで私は、更に嘘の上塗りをしてしまったんです。
近いうちに放送で彼氏を紹介するからと。
そして私は困り果ててしまいました。
嘘つきだと思われたくない。
大切な友達だから絶対に失いたくない。
とにかく彼氏役を演じてくれる人を見つけなくてはと思い詰めていました。
といってもリアルで彼氏を探すことは出来ません。
ネットで何とかしなくてはならない。
毎日していた生放送も休みがちになるほど、懸命にネットの中を巡り歩きました。
そうして奇跡的にリョウさんの『座る人』のホームページにたどり着くことができたんです」

と話し終えると大きく息をつき微笑んだ。
胸の中に詰まっていたものを出し切ったようすだった。
しばらく言葉の間が開いた。
それは気づまり感のない無言時間だった。
僕はカフェオレを飲みながら庭園を眺め、Kさんの次の言葉を待った。

Kさんは座り直し姿勢を正すと「今まで本当にありがとうございました」と言って深々と頭を下げた。
僕も呼応するように頭を下げた。
顔を上げるとKさんは腕時計に目を移し「あと10分になってしまいました。最後のお別れの前に、私の最後の我儘を聞いて下さいますか?」と言った。
僕は考えることもなく自然に頷いていた。
「あそこに池が見えますよね」
Kさんはカフェの前にある、庭園の真ん中の池を指差して言った。

「私はお店を出て、あそこまで歩いて行きます。
池の前に着いたら振り返りますので、リョウさんはここで手を振ってください。
私が手を振り返して背中を向けたらリョウさんはお帰り下さい。
私はしばらく池を眺めて、散歩をしてから帰ります。
よろしいですか?」
僕が頷くのを確認すると、Kさんは伝票を手にして立ち上がった。
そして「この事は私の一生大切な思い出になります。心から感謝しています。ここは私に出させてください。せめてものお礼です」と言い足早にレジへと向かった。
池を眺めているとまもなくKさんの姿が見えた。
サラサラの髪に銀の髪留め、体型にピッタリのスーツに黒いハイヒール。

素敵な女性の後ろ姿だった。
Kさんが振り返った。
僕は手を振ったKさんが振り返した。
泣いているように見えた。
やがて俯き鞄からハンカチを取り出すと背中を向けた。
店を出て階段を下りると池の前に立つKさんの後ろ姿が見えた。
僕は「お元気で。さようなら」とつぶやき、木戸門をくぐり庭園をあとにした。

