五人目の依頼者:Kさん 3回目
前回の依頼から一週間後。
Kさんから三度目の依頼メールが届いた。
「前回お約束したことを、お話ししたいと思います」と書かれていた。
座る場所に指定されたのは白金台にあるTカフェ。
時間は14時だった。
白金台。
行ったことはなかったけれど高所得者の住む街であるという事は知っていた。
前回の表参道のカフェですら場違い感を痛感したのだ。
それが今度は白金台。
下調べをして心積もりをしておいた方が良いと思いネットで検索をしてみた。
ホームページに掲載されている写真を見て僕は思わず「ほぉ……」と、感嘆の息を漏らした。
重厚感漂うという表現がぴったりな店内の装飾。
由緒ある日本庭園へと存分に開かれたテラス。
洗練された椅子やテーブルは落ち着き払って佇んでいる。
それなりの覚悟をもって臨まなくてはいけないと思った。
僕は持っている服の中で一番お洒落だと思われるシャツと、めったに穿くことのないチノパンとを押し入れの中から引っ張り出した。
当日。
山手線の目黒駅で都営地下鉄三田線に乗り換え白金台駅へと向かった。
白金台駅二番出口をでて目黒通りを桜田通り方面に進むと、すぐにTカフェが隣接する日本庭園の看板が見えた。
桑原坂を下り、左手に出現した時代劇を想像させる厳かな雰囲気の正門を通る。
事前にネットで調べてとおりに道沿いに歩いて木戸門を潜ると、そこには現代の都会の真ん中とはとても思えない、粛々として広大な緑の庭園が広がっていた。
立ち止まり全景を見渡す。
「凄い」思わず漏れた一言だった。
Tカフェの入っている本館が右手に見える。
意味のない事だと分かっていても、一歩進むごとに場違い感が首をもたげ緊張が高まる。
階段を上がりカフェの入り口に立つ。
心積もりをしておいたつもりだったけれども、リアルのTカフェは予想以上の優雅さを持って迫ってきた。
圧倒され後ずさりしてしまいそうになる。
何のためにここに来たのか! 心を叱咤し気持ちの立て直しを試みる。
俯いてしまっていた顔を上げ店内を見渡す。
Kさんが見つからない。
動揺している。
腕時計に目をやる。
約束の時間の5分前。
Kさんはきっと来ているはずだ。
自身に平静を装いもう一度店内に視線をめぐらす。
そうしてやっとテラス中央で手を振るKさんを見つけた。
ホッと息をつく。
少し緊張が解け、ソファーテーブル席側をぐるりと回ってKさんの待つ四人掛けのテーブル席へと向かう。
テーブルに到着し向かい側の席に座ろうとしたとき「こんにちは」という声がした。
僕は驚いてあたりを見回しその視線をKさんに向けた。
「あ、驚かせてしまってごめんなさい」とKさんが言った。
Kさんが話してはいけないという決まりはない。
ただ今までが今までであっただけに、今回もパソコンを使ってのチャットでの会話だと思っていた。
だが目の前のテーブルの上にはいつもの赤いノートパソコンは存在していなかった。
「今回で最後ですから私自身の声でお話ししようと思いました」
Kさんがそう言った。
低いけれども明らかに男性を思わせる声ではなかった。
何処となく女性的な柔らかさを含んだ鼻に掛かった様な声、中性的な声と言えるものだった。
僕は意表をつかれた為「はぁ」と言うような、肯定とも否定とも取れるような中途半端な口をあけて頷いた。
「あ、やっぱり、チャットの方が良かったですか?」
慌てて首を振った。
僕は話してはいけないがKさんが話すのは自由なのだ。
「よかった。あらかじめメールでお伝えしておけばよかったですね」
大丈夫という事を現わすために、右手を振ってから親指と人差し指でOKサインをつくった。
「分かりました。では、えっと、お話を始める前に何か注文しませんか? ここのスイーツ絶品なんですよ」
Kさんはミルフィーユパイとカフェオレを注文すると言った。
僕は体験したことのないものを注文し、どう食べていいのか分からないという混乱の海で溺れそうになってしまう危険性を避けるため、絶対的に安全だろうと思われるカフェオレのみをメニュー表の中から指差した。
「甘いものは嫌いですか?」
当然の反応だろう。
スイーツが美味しいと薦めているのに何も食べようとしないのだから。
Kさんが不快な思いをしてはいけないと思い、僕はとっさにお腹を押さえた。
「え!? お腹が痛いんですか?」
慌てて首を振る。
「お腹が……いっぱい?」
うんうんと頷く。
「そうですか。分かりました。では、私だけ頂いてもいいですか?」
全く構わない事であったので大きく頷いた。
Kさんが手を挙げてウエイターをよび注文をした。
前回のように不審な視線を向けられることはなかった。
注文している間、Kさんの服装に目がいった。
紺のスーツ姿だった。
品がありそれなりの値段がするものだろういう感じだった。
髪型は今までと違い銀色の髪留めで後ろに束ねていた。
都会で働くOLというような出で立ちだった。
「じゃお話を始めてもいいですか?」
Kさんはなんとなく焦っているように感じた。
「お話ししなくてはいけない事が沢山あって。それと、まずこのことをお話ししないと、リョウさんを騙しているようで申し訳ないという思いがあって」
と言うと視線を逸らした。
僕はKさんの言葉を待った。
再び真っ直ぐな視線を向けると「私は、本当の女性ではありません」と言った。
真摯な響きを持った口調だった。
僕はこの言葉を受け止め頷いた。
「あ、リョウさん気付いていました?」
予想外という感じだった。
Kさんのカミングアウトに驚きの演技で応えるのは間違いだと思っていたため、僕なりの誠意をもって頷いた。
「そうですか……。何処で気づかれましたか?」
迷った。
喉仏と指のどちらをこたえようかと思ったのだ。
女性のつもりであるKさんに、両方をズバリとこたえてしまうのは忍びないと思った。
Kさんから視線を逸らして悩んだ末に僕は自身の指を指差した。
「指か……。喉仏以外に指も目立ちますよね、やっぱり」
重い口調だった。
僕は悪い事をしてしまったかのような気持ちになった。
「あ、でもよかったです。リョウさんを騙すことはしていなかったわけですから」
Kさんの表情をうがってみる。
作られた笑顔の中に安堵感が感じられるのも事実だった。
「正直に答えてくださったおかげで話しやすくなりました。
私はMtF、性同一性障害です。
体は男性でも心は女性です。
幼稚園の頃からおままごとやお人形遊びが大好きで、理容院で髪を切るのが大嫌いでした。
お洒落が大好きでずっと女の子と遊びたいと思っていたし、恋愛対象は男の子でした。
でもお付き合いをしたことはありません。
いままで、いまでも普段は男性で生活しているので友達と呼べる存在もいません。
中途半端な存在なんです。
で、この指。
ゴツゴツしていますよね。
力仕事をしている男の指ですよね。
父親の経営する町工場で働いているからなんです。
だからこの髪型でいられるんですけど指はこんなになっちゃいました。
お肌と爪の手入れはマメに行っても、関節まではどうすることもできませんでした。
父と一緒に働いてはいますが、私の事をMtFの事を理解してくれているわけではありません。
いま私は工場から離れた市外に一人暮らしをしているんですけれど、以前家族と一緒に住んでいた時に、押し入れの中に隠していた女性物のお洋服が見つかって、全て捨てられてしまったことがあります。
あの時修羅場になれば、もっと私らしく生きることができていたのかもしれません。
ですが私も両親もそのことには触れずに過ごしてしまいました。
父も母もとっても真面目で大人しい人間なんです。
お互いにぶつかり合って、傷つけあっても現実を見つめ合う事を避けてきてしまったんですね。
だから実家から離れたところで独り暮らしをしているといっても、車で15分程度の所なので、気軽に女性の格好で外出することは出来ません。
どこかで両親の知人に見られて耳に入ってしまうかもしれないからです。
地元ではジーパンにパーカーというような格好で過ごしています。
今日の様な特別な日や大好きなカフェでの生放送の時は、ジーパン姿で車に乗って出かけて、現地近くの駐車所の中で着替えてメイクをします。
あと、そう。
もう一つリョウさんに嘘を付いていたことがあります。
メールで私は20代後半だと書きましたよね。
でも本当はもう30代なんです。
このことにも気づいていましたか?」
僕は女性の実年齢について疎いからなのか、そのことには気づいていなかった。
なのでKさんに喜んでもらえるようやや大げさに首を振った。
指の件で傷つけてしまったと心苦しかったからだった。
その僕の様子を見てKさんは嬉しそうに笑った。
こんなに嬉しそうな人の笑顔を見るのは久しぶりだと思った。