「彼との出会いはお店でした。
二人で来て、お友達の方はだいぶ酔っていて、指名した女の子と大きな声で話していました。
彼は指名をしなかったので空いていた私が付きました。
酔ってしつこくされるのは嫌だなと思って警戒して席に着いたんですけど、彼はほとんど素面で、酔って騒いでいるお友達の様子を楽しそうに眺めていました。
私に対しても紳士的で、気を遣わなくて大丈夫だから、普通に話をするぐらいでいいからと、優しく対応をしてくれました。
そんな彼の様子に肩の力が抜けた私は、いつもよりも饒舌に話すことができました。
彼はとても知的で話し上手で、聞き上手でもありました。
こんなお客さんばかりだったらいいのにって本当に思いました。
彼が帰るとき営業用の名刺を渡しました。
私は基本的にはほとんど名刺を渡さないタイプだったのですが、彼だったらまた来てほしいと思ったんです。
だけれどメールも電話もありませんでした。
なのに次の週、今度は彼一人でお店に来て私を指名してくれたのです。
私に気を使って高いボトルを入れてくれたんですけれど、彼はあまりお酒を飲みませんでした。
それから彼は毎週お店に来て私を指名してくれました。
そして少しお酒を飲んで、2時間ぐらい他愛もないお話をして帰る。
そんな関係が一月ぐらい続いて初めてアフターに誘われました。
地味だけれど美味しお寿司屋さんに連れて行ってもらいました。
その時に彼には家庭があること、会社経営者であるという事を知りました。
でも、私は彼との関係は割り切れていると思っていたし、彼の金銭的な負担の心配をしなくてもいいのだとも思えましたので、今後もこの関係を続けていきたいと思いました。
それからは毎週末アフターで色々な美味しい店を巡りました。
卑しい話なんですが、彼に素敵なお店で美味し物を食べさせてもらうのが、楽しいのだと思っていました。
だけれど次第に本当はお店や食べ物は二の次で、彼の話しをききたい、彼と一緒に居たいのだという事を意識してしまうようになりました……」
沈黙。
自嘲的な溜息。
意識は蒼さんに集中しながら海を眺めた。
「こんな話、聞きたくありませんよね」
蒼さんは僕の方を見ずに、吐き捨てるように言った。
僕は首を振った。
「話せる人が居なくて……ごめんなさい。
彼には家庭がある、奥様もお子さんもいる。
分かっていてもどんどん彼のことを好きになっていきました。
彼がお店に来るのが遅れると不安で居ても立ってもいられなくなって、携帯を何度もチェックしました。
彼とアフターに行くようになってから一月後、ホテルへの誘いを受けました。
いつかくるものだと思っていたし心の中で望んでいました。
躊躇なく受け入れ愛人関係になりました。
それから間もなくして、キャバクラを辞めてくれないかという話が出ました。
専門学校の学費を稼ぐためにキャバクラで働いているという事を以前話してあったので、学費は僕が全額援助するからと彼は言いました。
でも私はその提案を受け入れることはできませんでした。
ズルズルと流されて彼に甘えたくはなかったんです。
私は彼のペットではない。
譲れない一線があって、そこを超えてしまったら私は自分自身を本当に許せなくなる。
そう思っていたんです。
でもこの考えは彼には理解されませんでした。
それまで喧嘩をしたことがなかったのに、逢う度に口論が絶えなくなりました。
彼は僕にできることで君に幸せになってもらいたいんだと、繰り返し私を説得しようとしました。
私は彼と居ることが幸せで、経済的に甘えることは幸せではない。
これは私自身の問題なのだから、自分の力で道を切り開いて進んでいきたいのだと話しても、彼には理解してもらえませんでした。
散々彼に美味しいものを御馳走してもらっていながら、矛盾した発言だから届かなかったのかな……。
胸の奥を握りつぶすような苦しさを抱えて3ヵ月間悩みました。
そして私は目を背けていた想いに目を向けることにしました。
私がすべきことは彼と別れる事。
私が前に進む為にしなくてはならないこと、絶対的に解決しなくてはならない問題はこれなのだという事から、もう逃げないと決めたんです。
でも……いつでも、どこでも、彼からの連絡を待ってしまっている自分がいます。
別れを伝えるその時まで、彼とは絶対に連絡を取らないと決めているのに……。
彼に逢ってしまったら、グラグラと揺れてしまいそうな頼りない決意を抱えています。
でも、もう、決めたんです。
彼とは別れるって、絶対に別れるって」
最後のセリフを海に投げ付けるように言うと、蒼さんは僕を真っ直ぐに見つめ、
「次回、最後の座る人依頼の時、私は彼と別れます。
その場に立ち会ってくれということはありません。
ただ座って待っていて欲しいんです」
そう言うと蒼さんは僕の返答を待たずに海に視線を戻し、口をつぐんだ。
どのような状況になるのか。
揉め事に巻き込まれるかもしれないという思いが頭をよぎった。
でも僕はその依頼を受けようと思った。
蒼さんの決意を座る人として最後まで見届けたいと思った。
「私、もう暫くここに居ます。
リョウさんは先にお帰り下さい」
蒼さんの言葉を受け、僕は立ち上がってGパンのお尻を叩いた。
砂が海からの風に乗ってパラパラと舞った。
少し寒くなってきた。
蒼さんを心配に思ったけれど、彼女の背中は頑なな意思を放っていた。
砂浜をサクサクと歩道に向かう。
国道134号線を渡る信号は赤だった。
振り返ると蒼さんの背中が小さく見えた。
膝に顔を埋めているようだった。
心配に思ったけれど僕にはどうすることもできない。
座る人として過干渉は禁忌だ。
信号が青に変わると僕は振り返ることを禁じ、小走りに駅へと向かった。