「お待たせいたしました」
女性店員がハンバーグセットとジャスミンティーを運んできた。
「私は食べ終わってからお茶を飲むので、リョウさんは先に召しあがってください」
僕は頷くとティーポットからカップにジャスミンティーを注ぎ、一口飲んでみた。
「どうですか?」
ユウさんが心配そうに僕の様子をうかがっている。
正直、あまり美味しいとはいえなかった。
若干癖がるように感じた。
だが、そんな様子を悟られないように、僕は努めて表情を和らげて頷いた。
「よかった。じゃ、私も頂きます」
ナプキンを広げて膝の上に掛けると、背筋をスッと伸ばして食事を始めた。
ハンバーグ一片をナイフで切ると、ゆっくりと口の中に運んだ。
そして、数回噛みしめるように味わうと、
「うん、美味しい」といって微笑んだ。
ユウさんはフォークとナイフを自然に使いこなし、静かに食事をしている。
気兼ねなく食事をするには僕はどうしたらよいだろう。
「座る人」を依頼してきたという事は僕はここに居ていいはずだ。
でも、僕が緊張して挙動不審になってしまったり、不自然な行動をとることで余計な気を遣わせてしまうだろう。
不必要な思考で自身にプレッシャーをかけることなく、自然体でただここに居る事。
それが、ユウさんが望む「座る人」なのではないだろうか。
そう思い窓の外の人の流れに目を向け、無心になろうとした。
だが、初めての座る人である。
どうしてもユウさんの様子が気になってしまう。
そんな僕の様子を見かねたのか「大丈夫ですか?」
といって、ユウさんは少し困った顔をした。
僕は急いで頷くと目を閉じ気を静めようとした。
鼓動が速いのが分かる。
ダメだ。
このままここに居ても事態は改善しない。
僕は立ち上がりトイレの方を指差した。
ユウさんは少し驚いて「あ、はい。分かりました」といって、懸命に微笑んだ。
落ち着きを取り戻すため自身に大丈夫だと言い聞かせるため、一歩一歩を踏みしめるように歩いてトイレに向かった。
洗面台の鏡の前に立ち顔を見ると紅潮していた。
水道をひねり丁寧に手と顔を洗う。
グルグルと首と肩を回し凝りをほぐす。
大きく深呼吸を三回。
もう一度鏡を見てみる。
赤みはひいていた。
「よし」声は小さいが強く頷く。
トイレから出て窓際のユウさんの様子を窺う。
窓の外を見ながら食事をしている。
僕はゆっくりと歩いて席に戻った。
椅子に腰かけようとする僕の顔を下からちらりと覗きこんだ。
僕は頷いた。
その様子を見て安心したのか、頷いて食事を再開した。
ようやく落ち着いた僕は、椅子の背もたれに寄りかかり店内を眺めた。
カウンター席が5席に4人掛けのテーブル席が3席。
小ぢんまりとしており照明はやや暗く落ち着いた感じだった。
内装は壁、床、カウンター、テーブル、椅子とも同じ重厚感のある木目調で統一されていて、年代を感じさせる趣だった。
BGMは会話の邪魔にならない音量で、静かにjazzが流れていた。
「御馳走様でした。美味しかった」
ユウさんが食事を終えた。
左手を挙げて合図をすると食器が下げられジャスミンティーが運ばれてきた。
お茶を一口飲むと「お話してもいいですか?」とユウさんが尋ねた。
僕は「はい」と返事をしてしまいそうなのを寸前で堪え、頷いた。
「私、散歩が趣味なんです。
ぶらっと電車に乗って、気の向くままに駅に降りて、知らない街を散歩するんです。
で、国立駅で降りて散歩をしていた時に見つけたのが、このお店です。
ご夫婦で切り盛りされていて、旦那様が調理をされて奥様が接客を担当されています。
お二人の仲のいい関係が表れているように、どのお料理もほのぼのとする優しい味付けで、とっても美味しいんです。
でね、その中でも私が絶品だと思うのが、このハンバーグなんです。
1年前ぐらいから通っていて、最近はもうほとんどハンバーグばっかりなんです。
本当に美味しいんですから」と言って照れ臭そうに微笑んだ。
僕はハンバーグステーキを注文しなかったことを後悔していた。
ユウさんはさらに話しを続けた。
「このお店、毎月来るんです。
第一週の休みが取れた日に。この席を予約しておくんです。
この窓際の席。
で、いつも同じものを注文するんです。
ハンバーグとジャスミンティー。
ゆっくりと食事をして、その後はお茶を飲みながら本を読む。
これが、私自身に対する毎月のご褒美なんです。
いつもは一人なんですけれどね……」と言って、ユウさんはフッと口をつぐんだ。
わずかな沈黙の後、
「私、一人が好きなわけじゃないんです。
望んで一人を選んでいるわけではないんです。
でも、なんとなくいつも一人になってしまうんです。
やっぱり、私がいけないのかな……」
僕は言いたかった。
ユウさんがどのような事情で状況で一人なのか、一人になってしまっているのかは分からない。
でも、一人であることは悪い事ではない。
僕は一人であることを肯定も否定もしない。
ただ、「一人であること」が悪い事では無いという事を伝えたかった。
でも僕は「座る人」だ。
ただここに居て話を聞くことしかできない。
ユウさんはテーブルの一点を見つめていた。
僕は俯くユウさんの口元をじっと見つめて次の言葉を待った。
「愚痴を溢して、ごめんなさい」
顔をあげると無理に明るくそう言った。
僕は首を振った。
ユウさんは左手首に巻かれた腕時計に目を落とすと、
「あ、あと15分ですね。これからまた本を読みますね」
と言ってティーポットからカップにお茶を注ぎ、鞄から先程の本を取り出すと読み始めた。
その動作はどことなくぎこちなかった。
僕は窓の外に視線を移した。
人が歩いている。
右から左へ、左から右へ。
皆それぞれに生きている。
それぞれに色々な人生を生きて、色々な喜怒哀楽を抱えて。
生きるってなんだろう。
人はなぜ生きるのだろう。
生きるって……。
「そろそろ出ましょうか」
ユウさんの声で我に返り鳩時計に目をやると、制限時間5分前だった。
僕は頷きジャケットを羽織った。
店の外に出るとユウさんは「有難うございました。そして、お疲れ様でした」と言ってはにかむように微笑み駅に向かって歩き出した。
スッと伸びた背中が人ごみに紛れていく。
ユウさんの背中が完全に見えなくなると、僕はぽつんと置いて行かれてしまったような気分になった。
意味の無い干渉だと首を振り、僕もゆっくりと駅に向かって歩き出した。
座る人初日が終わった。