第三十二話

小説「beside-座る人」:第三十二話

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三人目の依頼者:蒼さん 3回目

蒼さんから三度目の依頼メールが届いた。

指定された場所は横浜マリンタワーのレストラン。

横浜・夜のマリンタワー

 

時間は17時40分。

何時以外に何分まで指定してきた依頼者は初めてだった。

 

横浜駅でみなとみらい線に乗り換え、元町・中華街駅へと向かった。

根岸線の石川町駅で降りて横浜の街を散策してみようかとも考えたが、前回の蒼さんの様子を思い返すとそういう心の余裕は生まれなかった。

 

元町・中華街駅に到着し地下4階からエレベーターと階段を使って上り、4番出口から出ると目前に山下公園が見えた。

夕暮れの山下公園

 

公園に向かって少し歩くと左手に横浜マリンタワーが立っていた。

 

腕時計は17時30分を指していた。

まだ少し時間があったためぐるりと周りを歩いてみる。

思っていたよりも高さも大きさも小さいという印象だった。

 

レストランは山下公園側に面していた。

全面ガラス張りで開放的なイメージを演出していた。

大きなガラス窓から見えるシャンデリアが目に入った。

その形は鍾乳石の滴をイメージさせた。

鍾乳石

 

個性的なシャンデリアとは対照的に、店内の椅子やテーブルはシンプルな木目調のライトブラウンで統一されていた。

店の外には手入れの行き届いた芝に囲まれたテラス席があった。

そこには蒼さんの姿は見当たらなかった。

 

店内に入り視線を巡らすと、奥のテーブル席に蒼さんの姿を見つけた。

俯きテーブルの一点をじっと見つめている様子は、遠目から見ても沈痛そのものだった。

テーブル脇に立つ人影に気が付くと顔を上、ぎこちない笑顔で、

「こんにちは」

と蒼さんが言った。

 

僕は「こんばんは」という時間ではないかなと思いながら席に着いた。

僕が座るのを確認すると、蒼さんは腕時計をちらっと見てから話しはじめた。

「早速ですがお話をさせて頂きます。

前回お話ししたとおり私はこれから彼と会い、けじめをつけます。

彼は近くのホテルのラウンジで待っているはずです。

ホテルのラウンジ

 

18時に会う約束をしています。

10分だけ話をします。

それで最後にします。

絶対にそうします。

 

ですからリョウさんには港の見える丘公園で待っていて欲しいんです。

18時半に私はそこに行きますだから、最後に少しだけお話を聞いて下さい。

お願いします」

そう言うと蒼さんは席を立ち足早に店を出て行った。

 

今回は落ち着いて座っている訳にはいかないだろうという事は予想していた。

だが予想以上の展開の速さに僕の思考はついて行っていなかった。

落ち着いて僕のとるべき行動を反芻する。

 

港の見える丘公園に行き蒼さんを待てばいいのだ。

港の見える丘公園

 

だが僕はその公園の場所を知らなかった。

横浜は僕が小学生の頃、両親と文子さんとの4人で食事に来て以来だった。

どうしようかと焦りが脳裏をよぎる。

 

あっと思い直し気持ちを落ち着かせた。

念のためにとインターネットで調べた、横浜マリンタワー付近の地図をプリントアウトしていて、その地図の中に港の見える丘公園という文字があったことを思い出したからだった。

 

鞄からA4用紙に印刷された地図を取出す。

地図の右下にその公園の名前を確認し安堵の息を漏らす。

時計は17時46分を指していた。

 

地図上では歩いて5~10分ぐらいの所であったが、初めての所であるため念のために18時10分に店を出ることにし、カフェラテを頼んで時間を潰した。

 

マリンタワーを出て駅側の通りの交差点を左に曲がり、地図で確認して階段をのぼった。

フランス橋を渡り首都高神奈川狩場線の高架の下をくぐると、目の前に目的の公園が見えた。

横浜・フランス橋

 

公園案内板を探し展望台の位置を確認する。

公園は横に長く展望台はその中央付近にあることがわかった。

 

入り口前の広場を抜け階段をのぼる。

今までの西洋風な風情は一変し薄暗い林の道を進む。

すぐに庭園広場に出るがここもまた暗い感じだ。

 

広場を抜けまた林の中の道を進む。

先に開けた空間が覗いていた。

展望台広場に到着すると視界が一気に解放された。

港の見える丘公園展望台

 

あたりを見回してみる。

東の方向にはベイブリッジ、西の方向にはマリンタワー。

横浜の夜景

 

光の粒を散りばめたような横浜の夜景が広がっていた。

僕は今まで夜景というものを綺麗だと感動したことが無かった。

初めての体験だった。

 

夜景の美しさに慣れ冷静になって蒼さんの姿を探してみる。

見当たらない。

腕時計は18時28分を指していた。

 

僕の心の中では時間通りに蒼さんが現れる確率は、50%ぐらいだろうと思っていた。

見渡して気付いたこと。

それは蒼さんがまだ来ていないという事だけではなかった。

夜の港の見える丘公園

 

広々とした空間のあちらこちらには沢山の若い男女、恋人たちが寄り添うように佇んでいることもだった。

この場所で一人であたりをきょろきょろと見回しているのは僕だけなのだ。

 

二十歳過ぎの男性がこのような場所で、一人でうろうろとしているのは明らかに変だ。

不審者と思われかねない。

一人でいておかしくな、蒼さんを発見しやすく、蒼さんからも発見されやすい場所を探してみる。

だがそんな場所はあるはずもなく、僕は展望台広場の片隅で蒼さんの早い到着を祈りながら、これは座る人では全然ないと思い立ち尽くしていた。

 

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