六人目の依頼者:マコト氏
東急池上線洗足池駅の改札を抜け目の前の歩道橋で中原街道を渡ると、洗足池公園に到着した。
目前のボートハウスの対岸にある弁天島を目指し池の周りを歩く。
都会の住宅街の中。
緑に囲まれた大きな池がある風景。
初めて来た場所であるのに、懐かしさが湧いてくるような気持ちになった。
弁天島目前に到着する。
朱塗りの橋が架かった小島には鳥居が立っていた。
集合場所に指定されたのは、弁天島を東に臨む休憩場所のベンチだった。
池に向かってベンチが等間隔に三つ並んでいる。
人影はまばらでベンチはどれもあいていた。
向かって一番右側のベンチに腰掛ける。
集合時間は14時。
僕の腕時計は13時45分を指していた。
目印として僕がいつも使用している鞄から携帯灰皿とタバコを取出し火をつけ、池を眺めながら深く一服する。
そして依頼者は来ないかもしれないと思った。
今回の依頼者であるマコト氏から、今までに無い長いメールが届いた。
『はじめまして。
マコトと言います。
リョウさんのホームページの内容が本当なのか信じがたいと思い、メールを何度も書こうと思ってはやめてしまっていました。
ですが僕の生活は、そんな不確実なものにすらすがらなくてはならないような状況です。
僕は引き籠りです。
コンビニに買い物すら出かけない、家の中からは一歩も出ない、本当の引き籠りです。
こうなってしまった切っ掛けは大学生活に馴染めないという、他の人から見たら些細な物でした。
ですが僕としては一生懸命受験勉強をしてやっと入った大学なのに、その努力を否定されたうえに、社会不適応者という現実を突きつけられる苦しい出来事だったのです。
もともと僕は自意識過剰の人見知りで、口下手で、コミュニケーション能力が低いという事は理解していました。
大学に入学するまではそれでも何とか生きてこられていました。
ですが……大学では軽佻浮薄な雰囲気のサークル活動には参加する気にはなれず、クラスでは僕のこんな性格が災いし友達が一人もできず、孤立孤独の毎日を過ごすことになってしまいました。
それでも勉強のために大学に通うのだと半年ほど頑張ったのですが、次第に休みがちになり、前向きに考えるエネルギーが枯渇し、引き籠ることになってしまいました。
引き籠り当初はネットゲームに夢中になっていたため、現実から目を逸らすことができていたので、それ程苦痛を感じることはありませんでした。
ネトゲの世界で僕は神と崇められるほど高レベルな戦士でした。
チャットでは豪放磊落、戦闘では勇猛果敢でした。
でもそれは全くもって現実の自分ではない。
惨め過ぎるほどに。
ゲームの世界から現実の世界に戻ると、そのギャップの大きさに自身に責め立てられ、もがき苦しむという3年間でした。
3年もの長い間、父親は僕に説教的なことは一言も言いませんでした。
僕の性格は父親に似ているという事と、母親と離婚してしまったという事を負い目に感じていた為かも知れません。
母親はとても活発で僕に対して過干渉でした。
僕が委縮してしまうぐらいに。
そんな母親は僕が引き籠り始めて間もなく家を出て行きました。
僕には何も言わずに。
両親の間に何があったのか。
僕が引き籠ってしまったことが原因なのか。
おそらくそうなのでしょう。
ただ母親が家を出て行ったことを、心のどこかではホッとした気持ちで受け止めています。
逢いたいという気持ちももちろんあります。
ですがまだしばらく離れていたいという混沌とした心の状態です。
父親にパラサイトして3年。
このままでは身も心も朽ちてしまう。
まずはアルバイトをしようと思いました。
でも、怖くて面接申し込みの電話をかけることができない。
電話をすることが、他人と話すという事が怖くてたまらないのです。
仕方がなく電話を諦め、次の手段としてメールでの面接のコンタクトを取りました。
ですが実際には行くことができませんでした。
普通の人には考えられないことかもしれませんが、外に出ることが怖くてたまらないのです。
不安を通り越し恐怖なのです。
自身が勝手に作り上げている恐怖であるという事は頭では分かっているのですが、心が認めないのです。
これでは何もできない。
一歩を踏み出そうと思ってから更に3ヶ月の月日が流れてしまいました。
焦燥と恐怖との泥沼の中で悶々と過ごしていたある日、ネットでリョウさんのホームページ、座る人を見つけました。
僕はこれしかないと思いました。
アルバイトの前に、その前の電話の前に、外出しなくてはならない。
外に出るという行動を起こすことによって、僕が引き籠り、築きあげてきてしまった恐怖という壁をぶち壊さなくてはならない!
ぶち壊したいのです!
僕が外出するための目的として、リョウさんに座って待っていて頂きたいのです。
この家の中から出たい。
僕自身が看守となってしまっている心の監獄から抜け出たい。
切なる願いです。
どうか、よろしくお願い致します』