「あ、僕は酒が強いので、あまり酔っぱらわないから安心して」
表情に出てしまっていたのだろうか、彼なりの配慮なのだろうか。
見透かされたように感じた。
「あ、でも、酒飲みにそういわれても信じられないよね。
でもね、本当に強いんだよ。
だから、金が掛かってしょうがない。
あ、じゃ、飲まなければいいと思うでしょ?
でも、飲みたくなって飲んでしまうのが酒飲みの悲しい性なんだなぁ」
僕に話すというより自身に言い訳をしているようだった。
「えっと、じゃ、今日のお題はですね……今日は、映画の話をしようと思います。
これから僕は、好きな映画について語ります。
あ、えっと、リョウ君だったね?
リョウ君は知らない映画の話だと思う。
見たところ20代前半という感じだもんね。
僕はその倍近く生きているわけだから、話が合わなくて、というか……あ、そうか、そもそも、映画を好きではないかもしれないね。
そうそう、それでね、悩んだんだよね。
映画か洋楽か。
そうしたらね、話したいことがどんどんと頭の中に溢れてきて、なんだか興奮してしまって朝方まで眠れなかったよ。
今日はほんと寝不足なんだよ。
あ、でも、大丈夫。
酒を飲むと元気になるから。
で、散々悩んだ結果、今回は映画になりました。
で、僕が大好きな映画でね、ヴィム・ベンダース監督の『パリ・テキサス』というのがあるんだな。
ロードムービーの金字塔的な作品なんだ。
一番好きな映画かというと、それはそうとは言い切れないんだな。
その時々の心身の状態、生活環境などによって観たくなる映画は変わってくるからね。
ある時は感動の嵐が巻き起こった映画であっても、また日を改めてみてみると、それ程でもなかったり。
あ、それは、僕自身の中でその作品に対して過剰な期待、またあの感動を僕に与えてくれるのだ!
なんて思ってしまうからでもあるんだけれどね。
あ、話がずれちゃったな。
えっと、そうそう、『パリ・テキサス』。
この映画は、なんていうのかな、実に淡々としていて、静かで、優しくて、でも現実を突きつける残酷さがあって……
この映画から逃げようと思ったこともあったけれども、やっぱり捨てられない。
とても大切な映画なんだ。
どんな話かというと、ある中年男がボロボロになってテキサスの砂漠の中を放浪していて、脱水症状でぶっ倒れる。
その男=兄貴をはるばる弟が迎えに来てロスに連れ戻されて、そこで、7歳になった息子と4年ぶりに再会して、行方不明の母親を探しに行く……という話なんだけれど、これが本当に完璧なんだな。
ドラスティックな展開なんかは皆無なんだけれど、全く飽きさせない。
そっと掬われるように映画の世界に没入していってしまう。
そんな映画なんだ……」
この後も話は川の流れのように続いた。
時々フッと話を中断して僕の様子を窺うことがあった。
Travis氏の話す映画の事は全く分からなかった。
だが、座る人の役目として時々相槌を打っていた。
サングラスの奥の瞳はそれを確認すると安心するのかアルコール燃料を胃の中に注ぎ込み、勢いよく話し続けた。
1時間喋り通してもまだまだ足りない様子だった。
だが、規約を守らないと後々面倒なことになりえない。
情に流されて後悔したくはなかった。
話の流れを遮るように大きな金色の腕時計を指差した。
「あ、もう時間か。
いやぁ~、あっという間だったなぁ。
あ、僕はもう少しここで飲んでいくから。
久しぶりに夢中になって映画の話をしたよ。
今日はこれから、今日という記念日に一人で祝杯を挙げるかな。
今日は有難う。
お疲れ様でした。
気をつけて」
僕は椅子から立ち上がり頭を下げた。
Travis氏は御猪口を持ち上げてそれに応えた。
思い出横丁から抜け出し、駅前に聳え立つ高層ビル群の明かりを見上げた。
高校生の頃、放課後よくあのビル群の展望室に一人で行っていたことを思い出した。
あの頃は一人でいることが好であり、孤独に苦痛を感じることはなかった。
だが今はどうだろうか。
一人が好きな事は変わらない。
だが、孤独に感傷を感じるようになってきてしまっている。
この心の変化をどう受け止めればいいのか。
僕という存在は戸惑いという鎖につながれて、グルグルと同じところを回っている犬のように思えた。
また感傷的になってしまっている。
座る人、他者と関わることに慣れていない事に起因する疲労が原因だと解釈した。
駅に向かう人の流れにのりながら大きな溜息を洩らした。