Travis氏との3回目の座る人が最後の依頼だった。
その理由は座る人のホームページを閉鎖したからだった。
なぜ閉鎖したのか。
それは座る人の依頼、依頼者から受ける刺激が予想以上に多く、僕の心は表面張力で溢れるのを耐えている、グラスいっぱいの水のようになってしまっていたからだった。
座る人をすっぽかすなどの逃げる行為は断じてしたくない。
一言も話さないコミュニケーションではあっても、誠意をもって対応したい。
それを守る限界に達してしまっていたのだった。
一人目の依頼者:ユウさんからの手紙
座る人を終えてから3ヵ月が経過した。
座る人の依頼対応用にプロバイダに契約したサブのメールアドレスを解約する前に、受信メールボックスをチェックした。
ホームページを閉鎖した時点で解約しようと思っていたのだが、なんとなく名残惜しくずるずると時が経ってしまっていたのだった。
いたずら、嫌がらせメールは落ち着いていたが、勧誘系のメールはどっさりと届いていた。
機械的に削除作業を続けていると見覚えのある名前が目に留まった。
メールのタイトルには『お久しぶりです。ユウです』と書かれていた。
座る人初の依頼者、ユウさんからのメールだった。
驚きと嬉しさと、少しの訝しさとが複雑に入り混じった感情が湧き上がった。
急いでメールを開いてみる。
パソコンの画面が文字で埋め尽くされるような長いメールだった。
お久しぶりです。
お元気ですか?
私は色々と大変な状況ではありますが元気に過ごしています。
まずは座る人の規約を破ってしまう事の非礼をお詫びいたします。
このメールで必ず最後にしますのでお許しください。
申し訳ございません。
どうしてもリョウさんにお話ししたいこと、ご報告したいことがあり、散々悩んだのですがこのメールを出させていただくことに踏み切りました。
ご迷惑でしたら削除してください。
私は現在、MSF(国境なき医師団)の活動に医療職として参加し、中東のシリアという国に居ります。
日本でもニュースなどで報じられている為ご存知かもしれませんが、シリアは2011年から激しい内戦状態が続いている国です。
紛争が毎日のようにいたるところで起こり、子供、妊婦を問わずに多くの一般市民が銃撃・爆撃などの被害に遭っています。
日々生命の危険に晒されるという、日本ではとても考えられない悲惨な状況が続いています。
こうした日常生活の中、負傷した市民はギリギリの命を抱えながら検問を避け、徒歩で近隣国へと逃れて助けを求めるか、設備の乏しい反政府側が作った医療施設に行くしかありません。
その理由は国の監督のもとにある公立の病院は、反政府側の患者の受け入れを拒否してしまうからです。
こうした状況の中、人道的見地に立ちMSFが緊急プログラムとして立ち上げた、仮設病院で私は活動しています。
仮設ではありますが、できる限りの状況に対応しえる設備が整えられており、市民の方々の助けとなりえる病院として機能しています。
ですがそれでもやはりベッド数やスタッフの人数などにより、受け入れるには限界があります。
患者さんは毎日次々と運ばれてくるため、本来ならばまだ入院治療の継続が必要である患者さんに、更に重傷を負った患者さんのために退院して頂かなくてはならないという現状です。
厳しい状態で退院される患者さんの背中を見送りながら、自身の無力さを痛感する毎日ではありますが、その気持ちに浸っている暇はありません。
目の前の患者さんに出来ることを、一つ一つ迅速にこなしていかなくてはなりませんから。
患者さんに私の心情などは関係ありませんし、私は医療職としてできる限りの支援をさせて頂くためにMSFに参加しているのですから。
過酷な現場での仕事であり多忙な毎日ではありますが、参加したことに後悔はありません。
医療職として貴重な経験をさせて頂いているのはもちろんですが、人間として私の未熟さを目前に曝け出され、注視せざるを得ない状況に置かれていることも非常に貴重な体験だと思っています。
それはMSFのスタッフや現地スタッフの方々との間に、誤解やすれ違いが生じてしまうのは、私の英語力の低さが主たる原因ではなく、私の自己中心的な判断とコミュニケーション能力の低さが原因であるという事を、自覚しなくてはならないと心から思えたからです。
国籍、宗教、文化的背景が違えども、人は尊敬を持って話しをきいてくれる人、対応してくれる人にしか心を開かない。
そして心を開いてくれた方に対して礼儀をもって接しなくては、円滑なコミュニケーションは図れない。
日本から遠く離れた異国の地で、私の人間性が患者さんの生命にダイレクトに影響してしまう環境に置かれて、ようやく愚かな自己中心的な思考、行動を真摯に顧みて改善しようと思えたのです。
赴任期間は3ヶ月です。
あと2ヶ月このシリアの地で活動し、世界中から集まっているMSFのスタッフに刺激を受けながらの生活を終えたとき、今までとは違う視点を持ってほんの少し成長した自分に出会えるのではないかと思っています。
この事がリョウさんにご報告したかったことです。
もう一つはお話ししたいことです。
この事は家族以外に誰にも話したことはありません。
隠すべき事では無いのですが、私が人様に話したくはなかったのです。