第三十九話【最終話】

小説「beside-座る人」:第三十九話【最終話】

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「これからは俺で相談に乗れることだったら何でも話してくれ。

お前を気にするのはな、俺も一時期人を拒絶し、孤独に浸ろうとしていた時期があったからなんだ。

大学生の時に哲学におかしな方向性ではまっちゃってな。

 

哲学

 

哲学を学ばない人間は低俗で付き合う価値が無いなんていう、恐ろしい考えを持っていたんだ。

今はとてもそんなこと言えないし、こんな考えは可笑しくてできないけれどな。

 

でな、こんな捻くれ者を少しは真面な社会人へと更生させてくれたのが家族や友人なんだ。

今の俺が仕事をして家庭を持って、飯が食える生活していられるのは、本当に皆様のおかげなんだな。

だからな高島、ゆっくりでいいから色々な人と話すように心がけてみろよ、な」

 

コミュニケーション

 

現在、僕のような人間が仕事を持ち、食べていける生活ができる道を作ってくれたのは板尾さんだった。

他者に対して頑なだった僕でも、板尾さんに対しては少し違っていた。

それは僕の中で、この人ならば少しは分かってくれるかもしれないという感覚をもっていたからだった。

 

何故そう思っていたのか。

板尾さんの僕に接する態度の中に、言葉ではうまく表せない共通項、似ているものを持っている者同士だからこそ分かり合える感覚があったからなのだと思う。

 

「板尾さん、ちょっといいですか?」

「良いも何も、実は今日はそれが目的で高島を誘ったんだよ。

最近のお前を見ていてな、気持ちは一生懸命前に進もうとしているんだけれど、進みたい方向性が分からずに迷ってしまっているように感じてたんだよ。

 

路頭に迷う

 

でもなそれは俺の思い込み、勘違いかも知れない。

だから、ここ一週間ぐらい声をかけるべきか、もう少し見守るべきか迷ってたんだよ。

いやぁ、思い切って誘ってよかった」そう言って嬉しそうに笑った。

 

この言葉を聞いて、僕は感謝の気持ちと自身の愚かさとで居たたまれなくなった。

まさか板尾さんがこんなにも僕のことを気にしてくれていたとは。

 

板尾さんに文子さんという祖母の存在、別れと再会、そして永遠の別れ、その経験から感じた事、学んだことを話した。

そして今の自分は前に進みたいと思っているけれども、どうしたらいいのか分からずに迷っているのだという事を話した。

 

ただ『座る人』については敢えて話さなかった。

 

座る人

 

僕と板尾さんには似ている部分があると思うけれども、板尾さんの方が明らかに社交性が高い。

僕は座る人として他者とコミュニケーションを取る方法を選ぶという変わり者だ。

この部分は人にはなかなか理解されないという事は、今までの人生経験で分かっていた。

そこまで理解して欲しいと求めてしまうのは板尾さんに負担になってしまうし、そこまで気持ちの依存はしたくはなかったからだった。

 

僕の話に耳を傾き終えると板尾さんはビールを飲み干し、

「俺は熱燗に切り替えるけれど、烏龍茶か何かにしておくか?」

と尋ねた。

僕はアルコール薄めのウーロンハイをお願いした。

 

「高島、俺はお説教が嫌いだ。されたくもないし、したくもない。相談にのるのと説教は違うからな」

僕もお説教をされるのは嫌いなので頷く。

熱燗とウーロンハイが運ばれてきた。

僕は板尾さんの御猪口に酒を注いだ。

 

熱燗とお猪口

 

「お、有難う。後は手酌でやるから。

でな、俺が言えることはいろいろやってみろということだ。

一度きりの人生、狭い世界で狭い物の見方をして生きてちゃもったいない。

何かやってみたいと思ったらそれを諦める理由を考えるんじゃなくて、まず行動してみろ。

その結果が失敗であっても、そこから多くのことを学べるから。

そうやっていろいろ行動していくうちに、色んな経験がお前の魂の肥やしになって、お前のやりたいことがきっと見つかるはずだ。

それが学びたいことだったら、今からでも大学や専門学校に通ってもいい。

仕事だったら、ま、職場の上司の俺が言う言葉ではないんだがここを辞めたっていい。

 

まだお前は若い。

とにかく行動してみろ。

 

行動

 

俺に言えることはこれだけだ。

偉そうにべらべら話すのは好きじゃないんでな。

って、もう十分喋ってるか」と言って板尾さんは照れを隠すように笑った。

 

それから僕たちは2時間ほど他愛もない話をした。

僕はいつもと違い酒席の世間話が辛いとは感じなかった。

板尾さんとの会話が楽しく、こんなに人と話すのはいつぐらいだろうと思えるほど話をした。

人とお酒を飲んで楽しいと思えた初めての経験だった。

 

腕時計に目を落とすと板尾さんが、

「もうこんな時間か。そろそろ帰らないとかみさんに怒られちゃうな」

と言ってトイレに立った。

残された僕はカウンターに肘をつき、沢山話し沢山食べて飲んだ余韻に浸った。

 

居酒屋のカウンター

 

板尾さんはトイレから戻ってくると「高島、お前もトイレに行って来い」と言った。

緊急性は感じていなかったが、とりあえずトイレに向かった。

用を済ませて戻ってくると、上着を着てレジ前の空席待ち用の椅子に板尾さんが座っていた。

 

歩み寄りポケットから財布を取り出そうとすると、

「とりあえず一年後、またこの店に来よう。

その時、高島の成長に応じて割り勘率を決めよう。

今日は残念ながらまだ全額俺負担のレベルだ。そういう事だ」

と、板尾さんが言った。

心遣いに感謝しご馳走様ですと言って頭を下げた。

 

店を出て駅まで歩き改札の前で僕たちは立ち止まった。

板尾さんは電車に乗り3駅離れた街に帰る。

僕は駅から歩いて20分のアパートへと帰る。

 

夜の家路

 

「今日は楽しかった。有難う」

そう言って板尾さんが僕の肩をたたいた。

「有難うございました」

僕は頭を下げた。

「じゃ、また」

「はい」

板尾さんの背中を見送り家路についた。

 

アパートに帰り鍵を開け、いつものように真っ暗な部屋に入る。

明かりをつけると見慣れた風景が広がる。

その時いつもは解放感と安堵感が心を満たした。

 

だが今日は違った。

淋しいと思った。

今まで淋しさを意識しないことが無い訳ではなかった。

だが今日は心から淋しいと思ったのだ。

 

淋しさに包まれる男性

 

 

この感覚に戸惑った。

これはいつもと違う。

どうしたのだろう。

このまま部屋に居ると深々と淋しさが染み入ってきそうだった。

テレビをつける代わりに鞄から煙草とライターを取出しジャケットのポケットに突っ込むと、部屋を出て公園へと向かった。

 

公園に設置されている自動販売機で缶コーヒーを買いベンチへと向かった。

深夜の公園には人影はなかった。

いつものベンチに腰掛けタバコを吸いながら缶コーヒーを飲む。

夜の街は静けさに包まれていた。

 

夜の公園の静けさ

 

「静かだ」

この呟きにこたえる人はいない。

だが部屋に一人で居るよりは淋しさが紛れるように感じた。

心の中をのぞいてみる。

少し酔っているから感じる淋しさなのだろうか。

 

いや、違う。

今までも会社の飲み会で少しばかりビールやチューハイを飲んで帰宅しても、淋しさを感じることはなかった。

板尾さんとの会話を思い返してみる。

僕は板尾さんとあんなに話したことはなかった。

いや、他人とあんなに話しをしたことはなかった。

心を開いて会話をすることを拒絶していた。

 

拒絶

 

それは逃避が根源にある拒絶というよりも、諦観が根源にある拒絶だった。

他者との心の交流を諦めることで、自身の心の安定を保ってきたのだ。

その今までの保身行為に反することをおこなったため、心の隙間に染み込んでくる淋しさを味わう事となったのだ。

そう分析した。

 

いままではこのような状況、心の平静を乱される状況を排除することを常としていた。

だがもうそのようなことはやめようと決めた。

今までと同じ行動は同じ結果しか生み出さない。

文子さんとの別れ、座る人依頼者の人達との出逢い、板尾さんとの交流をきっかけに僕は前に進むのだ。

 

前進

 

淋しさを排除するのではなく、淋しいと感じる自然な僕自身の心の動きを受け入れ、向き合いながら前に進むのだ。

そうすることによって文子さんに対して後ろめたさを感じることなく生きていけると思った。

 

携帯で明日の天気を調べてみる。

晴れだった。

お墓参りに行こうと決めた。

そして墓前でこの気持ちを両親と文子さんに報告することで、はじめの一歩にしようと思った。

 

日の当たる坂道