第三十八話

小説「beside-座る人」:第三十八話

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僕の「それから」

座る人を再開したいという気持ちは無かった。

ただ何か行動を起こしたいという思いはあった。

だが次の一歩を踏み出そうとしても、何処に向かってどう踏み出せばいいのかが分からなかった。

 

はじめの一歩

 

日々の生活に流される毎日。

知らない街の夜道を歩くような状況の中、前を向いて歩きだそうとする気持ちは維持していたいと思っていた。

 

そんなある日のこと。

仕事の昼休みにコンビニにタバコを買いに行こうと、倉庫の出口に向かって歩いている時だった。

 

倉庫

 

「高島、最近どうだ?」

事務所からできてきた板尾課長がそう言って僕の肩をたたいた。

「別に変りはありません」

「いや、なんか調子よさそうに感じるんだが」

「そうですか」

僕としては文子さんが亡くなった頃よりは元気かもしれないけれど、特別調子がいいとは思ってはいなかった。

 

「なんか違うな、最近。こういっちゃなんだが話しかけやすくなったな」

「そうですか」

「何かいい事でもあったか?」

「いえ、別に」

我ながらにべも無い返答続きだなと思い自然と笑みがこぼれた。

 

笑み

 

「ほら……笑った」

「え?」

心の隙を見せてしまったことを恥ずかしいと思い、それを取り繕うように真顔で切り返した。

「いや、すまんすまん。別にからかっている訳じゃないんだ。ただな、いつも硬い雰囲気だった高島が柔らかくなったように感じて嬉しくてな」

板尾さんの発言に嘘は感じられなかった。

「はぁ……そうですか」

「そうだ。久しぶりに今夜飲みに行かないか?」

「あ、はい」

 

迷わずこたえていた。

そんな自分に驚いた。

今まではこういう場面では、どうやって断ろうかという思いがまず頭に浮かび、上手く断る理由を見つけることができずに渋々誘いに応じるというのがルーチン化された思考パターンだったからだ。

 

「お、即答だな。よし。今日はちょっといい店に連れて行ってやるか」

集合時間と場所を決め僕たちは別れた。

 

板尾さんに連れて行かれたのはチェーン店系とは違う落ち着いた雰囲気の居酒屋だった。

 

居酒屋

 

木目の綺麗なカウンター席に案内され紙のコースターではなく、布製のコースターが僕たちの前に置かれた。

割りばしは僕が日常的に使っているものとは違い、美しく滑らかに仕上げられているものだった。

 

「この店はな、自分へのご褒美としてたまにくるんだ」

感じのいい店員に上着を預けながら板尾さんが言った。

店内を見回してみる。

大声で騒ぐ大学生やカウンターを叩きながら部下を説教するようなサラリーマンの姿は見当たらなかった。

 

品のある空間で美味しい酒と肴を味わいながら会話を楽しむための場所。

そんな風に感じられた。

 

居酒屋のカウンター席

 

「高島、お前と飲むの久し振りだな」

おしぼりで丁寧に手を拭きながら板尾さんが言った。

「そうですね」

「ここの生はヱビスだぞ。美味いからとりあえず一杯目はそれでいいか?」

正直ビールは苦手だった。

特にヱビスビールは味が濃いのでまず飲むことはなかった。

だが嬉しそうな板尾さんの提案を拒否することは出来なかった。

 

ビールが細長い
グラスで運ばれてきた。

「ま、今日はあれだ、よくわからんが高島に乾杯!」

僕もよくわからなかったがとりあえず乾杯をした。

 

グラスビール

 

板尾課長はゴクゴクと生ビールをグラスの半分ほどまで飲み干した。

「美味いね。やっぱりこれだな。高島は酒は飲めるようになったのか?」

迷ったがここは正直に首を振った。

今日のこの席で無理をして飲んで辛い思いをしたくはなかった。

 

「あらら。そりゃ悪いことしたな」

板尾さんの笑顔が曇ってしまった。

「いえ大丈夫です。
無理に飲もうとは思いませんが少しずつ飲んでみようかと思っています」

この発言を受けて板尾さんがまじまじと僕の顔を見つめた。

そして腕を組み「ほぉ~」と言ってうんうんと頷いた。

 

居酒屋の料理

 

「他人に対して迎合しようとは思いません。
ただ苦手な物事に対して、僕の方から歩み寄ろうとする姿勢が今までは足りなかったかなと最近思っているんです」

「なるほど」

「ただ無理はしようとは思いません。
無理は続きませんから。
良い事ではあっても続けないと意味がありませんから」

「そうだな。
俺は応援するぞ。
高島、正直言うとな、お前の人を寄せ付けない頑なな姿勢がずっと気になっていたんだ。
本当はもっと誘いたかったんだが、なんだか飯や飲みに誘うのを憚れるようなオーラが感じられてな」

 

拒絶のオーラ

 

その通りだった。

職場ではできるだけ会話をしたくなかった。

他人に仕事を邪魔されたくはなかったし、人の邪魔をして迷惑だと思われたくはなかったからだった。

 

それに根本的に嚙み合う話題の無い人に合わせて会話を展開するという事が面倒臭い、意味の無い事だと思っていたのだ。

社交辞令は空虚な言葉だと拒絶し、誰にも頼ることなく一人で生きていけるのだという傲慢な考えを心の支えに生きていたのだった。

社交辞令

 

板尾さんがビールを飲み干した。

そして「俺はもう一杯同じものを頼むが、高島はどうする?」と言った。

僕は少し迷ってから「もう少しこのビールを味わってみます」とこたえた。

 

「そうだな。酒は自分が美味いと思うペースで飲むのが一番だからな」

僕はビールを美味しいとは思っていなかったが、こんなに美味いものはきっと僕も好きになるに違いないと思っての発言なのだろう。

仕事は冷静沈着だが、ちょっと思い込みの強い板尾さんらしい発言だと理解した。

 

ビールが運ばれてくると板尾さんは再びゴクリゴクリと味わった。

そしてゆっくりと布製のコースターの上にグラスを置くと再び話し出した。

 

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