第三十七話

小説「beside-座る人」:第三十七話

Pocket

 

私には二卵性双生児の弟がおり、私たちは父子家庭で育ちました。

父は商社マンであったため日々激務で休みもままならない生活でした。

 

多忙な商社マン

 

ですが必ず月に一度は私たちを海や山、遊園地へと遊びに連れて行ってくれました。

父は寡黙で余計なことは話さない人でしたが、心から私たちを愛し、大切に育ててくれました。

 

父子家庭

 

私は運動が大好きで、小学校から高校までバレー部で汗を流しましたが、勉強はあまり得意ではありませんでした。

努力はするのですが、その成果があまり現れないタイプでした。

弟は陸上で国体の選手に選ばれる運動能力の持ち主であり、現役で国立の医学部に合格する知力の持ち主でした。

 

医学部学生

 

母は私達が小学2年生の時に急性骨髄性白血病を発症し、5年生の時に亡くなりました。

母の3年間の闘病生活を目の当たりにした経験が、弟を医師への道へと進ませ、私を医療職の道へと進ませました。

 

看護学生

 

弟は大学で医学を学びながら、医師になり経験を積んだらMSF(国境なき医師団)に参加するのだとよく話していました。

 

大学でも成績優秀で将来を有望視されていたのですが、飲み会の帰りお酒のあまり強くなかった弟は自転車でフラフラと走っていたところを車にはねられ、右腕と肋骨の骨折の他に脳に損傷を受けてしまいました。

 

交通事故にあった自転車

 

骨折は2ヶ月ほどで完治しましたが、脳には高次脳機能障害という後遺症が残ってしまいました。

 

高次脳機能障害は話す事、考える事、憶える事、注意する事などに障害が起こってしまいます。

弟の場合は右半球の脳の損傷が大きかったため周囲の状況、家族に対してさえも無関心になり、いつもぼんやりとしている様になってしまいました。

 

高次脳機能障害

 

一人で外出すると家の近所であっても迷ってしまい、帰ってこられなくなってしまいました。

瞳がキラキラと輝き利発さを纏っていた弟が、まるで抜け殻のようになってしまった。

 

私はそのショックからしばらく立ち直ることができず、専門学校を留年してしまいました。

そんな私を見て、父は『お前がしっかりしなくてどうする。私はお前たちより先にこの世を去る。その後弟を支えてやれるのはお前しかいないんだぞ』と、あえて厳しい言葉をかけてくれました。

 

日々の激務に耐えながら弟の現実を受け止めなくてはならない父の方が、私なんかよりよっぽど辛いのに……。

その後専門学校では誰よりも勉強し、実習には私の実習担当の方にもう少し手を抜いてもいいと言われるぐらいに真剣に取り組みました。

 

勉強に真剣に取り組む女性

 

そうして学校を卒業しMSFに参加するまで籍を置いていた病院に就職したのですが、そこではリョウさんにお話ししたように色々な壁にぶつかりました。

 

私は間違っていない。

正しい事をしようとしているだけなのに……。

 

その思いに徐々に妥協をして行けるようにはなりましたが、その先には進むことができていませんでした。

表面的な妥協だけで私とは違う考えを持つ人の立場に立って、真摯に考える事が出来ていませんでした。

自身の思いだけで突っ走り、他者に対する尊敬と礼儀、思いやりの気持ちが欠けていました。

思いやりの気持ち

 

話がそれてしまいましたので元に戻します。

MSFへの参加は私自身の目標でもありましたが、弟の意志を継ぐという意味でもありました。

MSF

 

ただ参加に不安や迷いがあったことも事実です。

一つは弟の存在です。

現在は早期退職した父が中心となって弟の生活を支えているのですが、私もできる限り協力していました。

 

幸い父は激務に体を壊すこともなく元気でいるのですが、もう若くはありません。

私がいない間の父への負担を考えると、MSFへの参加を切り出すことができませんでした。

 

二つ目は仕事です。

私の勤める病院では、MSF赴任期間を休職扱いにして頂くという制度はありませんでした。

つまりは退職しなくてはならないのです。

 

今まで積み上げてきた諸々の事をリセットしなくてはならない。

また帰国後に就職活動をし、新しい職場で一から積み上げていかなくてはならないという事への念慮もありました。

 

三つ目は日本という何もかも便利な国で暮らしてきた私が、MSFの活動の中心となる僻地での過酷な環境に適応できるだろうかという不安です。

不便なだけならまだしも、生命の危険に晒される可能性が飛躍的に大きくなりうるのですから。

 

と、色々と理由をつけてMSFへの活動への参加を諦めよう、その事を自身に納得させようという気持ちが次第に大きくなってきていました。

諦める気持ち

 

ですがこれで本当にいいのか。

自身に、弟に対して恥ずかしくはないのかとジレンマを感じていたのも確かです。

 

その時に出逢ったのが座る人でした。

 

ベンチに座る人

 

リョウさんに話しをきいて頂くという事で私自身の気持ちを整理、客観視し、進むべき道はMSF参加なのだと、改めて確認することができたのです。

 

そしてその思いを弟と父に話しました。

私の願望がそのように感じさせたのかもしれませんが、その時弟は私の顔をじっと見つめて微笑んだのです。

その表情の中に『姉さんならきっと大丈夫だよ』という気持ちの言葉を、思い込みだと言われてしまうのは重々承知なのですが、受け取ることができたのです。

 

父からは『俺と弟の事は心配するな。お前の思うようにやりなさい。MSF参加は弟とお前の共通の志なのだから』という、父らしい言葉をもらえました。このような経過を経て、いま私はシリアの地に立つことができています。

 

国境なき医師団

 

リョウさんがご自身の事をどう思い、どの様に評価されているかは分かりません。

ですが私はリョウさんの座る人の存在、私の話にきちんと向き合って頂けた存在に、心から救われたことは明確な事実です。

 

この赴任を終え日本に帰ってから、もう一度他のMSFのミッションに参加するか、日本の医療現場に復帰するか、その事については迷っています。

ですがリョウさんにお逢いすること、連絡を取ることは絶対にいたしません。

そう決めたうえで今回のメールを書かせて頂きました。

 

最後に。

座る人、リョウさんに逢えてよかった。

心からの感謝をこめて、ありがとう。

お元気で。

さようなら。

感謝の花束

 

>>「beside-座る人-」 第三十八話

小説「beside-座る人」:第三十八話僕の「それから」 座る人を再開したいという気持ちは無かった。 ただ何か行動を起こしたいという思いはあった。 だが次の一歩を...