画面には、
- <おお!! 彼氏さん登場だ~!!>
- <うわぁ~~~はじめまして~~~>
- <あらら! お似合いのカップルですね!>
などのコメントが次々と流れた。
Kさんあっての僕に対する反応ではあるのだが、これほど人に感情的に迎えられるという体験を僕はしたことが無かった。
嫌な気持ちはしなかった。
むしろ歯痒い嬉しさとでも表現すればいいのだろうか。
実に不思議な感情が僕の中で渦巻いていた。
画面に映し出されたはいいが、次にどうしたらいいのか分からなかった。
とりあえずKさんの指示を待つことにした。
Kさんはコメントが落ち着くのを待って、
『素敵な人でしょ』
とコメントを打った。
僕はそれを見て顔が赤くなるのを感じた。
- <はい。素敵な方ですね>
- <優しそうな方ですね>
と言う気を使ってのコメントの他に、
- <マスク外してほしいですねぇ>
- <マスク装備…ちょっと残念>
と言うようなコメントが多く流れた。
マスクを外してほしい。
当然の反応なのだろう。
Kさんがどのように『彼氏』という存在をリスナーの人達にアピールしたのかは分からない。
だが彼氏を紹介すると言って、多少なりともリスナーの好奇心やイマジネーションを刺激するようなことを言ってしまったのではないのだろうか。
だが僕としてはマスクという一線は超えることは出来ないと思っていた。
Kさんはコメントに対して、
『みなさん、彼にはマスクをするという条件で、顔出しを了解してもらっています。だから、ごめんなさいね』
とコメントを打ちパソコンの画面に向かって頭を下げた。
僕もそれに習って頭を下げた。
すると、
- <あ、ごめんなさい!>
- <Kさん、彼氏さんまで、頭を下げないでください>
- <無理言ってすみません。好奇心からつい…>
というコメントが流れた。
僕たちの対応を好意的に受け止めてもらえたようだった。
Kさんはそのリスナーの反応を見てから、
『彼は放送は初めてなのでこれ以上は疲れてしまうので、顔出しはここまででいいですか?』
とコメントを打った。
その反応として、
- <彼氏さん、ありがとう>
- <Kさん優しいなぁ~>
- <また遊びに来てくださいね>
というリスナーからのコメントが流れた。
僕は自然とパソコンの画面に向かって手を振っていた。
Kさんは僕を見て頷くと、Webカメラを僕が映らない方向に向けた。
パソコンの画面にKさんだけが映っていることを確認すると、僕は背もたれに寄りかかり大きく息を吐いた。
責任を果たした解放感と、ずっしりとした疲労感とが僕の心身を満たした。
隣ではKさんは放送を続けている。
カメラに映り込まないように注意しながらパソコンの画面を眺めた。
- <彼氏さんはどんな性格ですか?>
- <何系の仕事をされているのですか?>
彼氏=僕に対する質問コメントが多く流れていた。
Kさんはその一つ一つに丁寧に答えていた。
だがその答えは全て『嘘』なのである。
僕とはまだ二回しか会ったことが無い、友達とすら呼べない関係なのだ。
そんな『彼氏』をリスナーに紹介しなくてはならないKさん。
心にはどんな孤独が抱えられているのだろうか……。
ぼんやりとしかけている頭の中にそんな思いが漂っていた。
Kさんがパソコンの画面に向かって手を振り出した。
そろそろ放送が終了するのだと他人事のように眺めていると手招きをされた。
『彼氏』として最後の挨拶をしなくてはならないようだ。
Webカメラとパソコンの画面を僕の方に向けながら、Kさんが僕の右側にグッと近づいてきた。
サラサラの髪が揺れ微かに甘い香りがした。
二人で手を振った。
その様子は本当の恋人同士のようにパソコンの画面には映っていた。
- <デート楽しんでくださいね!>
- <本当に幸せそう!>
というようなコメントが沢山流れた。
僕はその様子を恥ずかしさの裏側に違和感と後ろめたさを感じながら眺めていた。
コメントの流れと二人の動きが止まった。
放送が終了したのだ。
隣でKさんが両手を合わせて深々と頭を下げた。
僕も何となく頭を下げた。
顔を上げたKさんの笑顔の中には安堵感が溢れていた。
腕時計に目をやると契約時間の1時間を10分過ぎていた。
この後、彼氏役を必要とした理由を聞くKさんとの約束が残っていた。
だが僕は心身ともに疲れていたし、これ以上契約時間を疎かにしてしまうことは座る人として良くないと思った。
それに心から楽しそうに放送をしていたKさんの様子を見て、理由を聞く事に拘る必要は無いのではないかと思っていた。
椅子から立ち上がり、向かい側の椅子に置いてあった鞄を取り帰り支度を始めた。
するとKさんは慌ててワードを立ち上げ、
『理由をきかなくていいのですか?』
と書かれた画面を僕に向けた。
僕は頷き一礼をしてその場を去ろうとした。
するとKさんは待ってというゼスチャーをして、再びキーボードを叩いた。
『次回で最後ですよね。その時に、必ずお話しします。近いうちに必ずメールします』
と書かれていた。
僕は少し迷った後、再び椅子に腰かけKさんのノートパソコンを借りてキーボードを叩いた。
『彼氏役を演じた理由を今はもうお聞きしたいとは思っていません。Kさんはお話ししたいですか?』
と書いた。
それを見てKさんはすぐに、
『はい。それがけじめですから』
と書き、いつになく真摯な眼差しで僕を見つめた。
僕は頷いて立ち上がると手を振った。
Kさんも振り返した。
Kさんの笑顔を確認すると僕は店を後にした。