第二十四話

小説「beside-座る人」:第二十四話

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僕はこの長いメールを数回読み返した。

僕は大学には行ったことが無いし引き籠ったこともない。

でも他人事には思えなかった。

悩み・自問自答

 

依頼承諾のメールを送るとすぐに返信があり、特徴明記の項目には、

  1. 性別:男性
  2. 年齢:20代前半
  3. 身体的特徴:身長178cm 体重:65㎏ 左目の下に黒子
  4. 服装:Gパン・灰色のパーカー。

と書かれていた。

 

集合時間の14時。

それとなくあたりを見回す。

灰色のパーカーの男性は見当たらなかったが、長身で紺色のパーカー、カーキー色のワークキャップを目深に被った男性が目に入った。

 

朱塗りの橋を弁天島側に渡りながら、風景を眺める体を装いチラチラと僕の方を窺っている。

洗足池朱塗りの橋

 

努めて自然体であろうとする気持ちが、挙動のぎこちなさに拍車を掛けてしまっているようだった。

 

その男性は10分ほど弁天島の中を迷子の子犬のようにグルグルと歩き回ると、再び橋を渡り、僕のいる休憩場に歩いてきた。

握りしめた拳が震えているように見える。

握りしめたコブシ

 

遠目にも高い緊張状態であることがひしひしと伝わってくる。

そんな彼の様子は僕の緊張をも高めた。

 

彼は明らかにマコト氏だ。

だが僕から積極的なアプローチをすることは間違いであると思っていた。

 

もし僕がそのような態度を示してしまったら、彼はこの場から逃げ出してしまうだろう。

それに彼はそのような行動を座る人に望んではいないだろう。

だがそのような座る人としてのスタンスを保つために、そ知らぬ振りを通しているという事が僕には出来なくなってしまっていた。

 

彼の行動を目を背けても背けてもすぐに追ってしまうのだった。

意を決した彼はついにベンチに腰かけた。

僕の座っているベンチから一つ置いたベンチに背もたれには寄りかからず、背筋がピンと伸びた状態で座っている。

座る人2

 

目深にかぶったキャップに遮られ表情を窺うことはできない。

僕はマコト氏が来ないものだと思っていた。

なのでここまでの接近は全くの予想外だった。

 

圧し掛かってくるような緊張感。

鞄からタバコを取出し火をつけ煙を深く吸い込む。

前かがみになり足元を見つめ、努めてゆっくりとタバコ二本を灰にする。

煙草

 

頭の中を整理する。

僕は座る人なのだ。

僕が取り乱してしまったら、依頼者に対して申し訳ないではないか。

ぶれる心に喝を入れ体を起こしてベンチの背もたれに寄りかかる。

 

肩の力を抜いて大きく息を吐く。

目の前の洗足池の水面は風に吹かれて小さく波打ち、アヒルと鴨がぷかぷかと浮いている。

マコト氏の心にこの風景は映っているのだろうか。

洗足池の鴨

 

目だけを動かし様子を窺う。

やはり背筋がピンと伸びた状態で座っている。

次の行動を彼は起こせるのだろうか。

僕に話しかけてくることはあるのだろうか。

 

緊張してしまうため彼の行動を予測するのは止めようと思っても、その思考を抑制することは難しかった。

だが座る人としての外面的な平静を装う事だけはなんとかできていた。

 

小康状態が15分ほど続いた時だった。

マコト氏が勢いよく立ち上がった。

僕は思わず振り向いてしまい彼と目が合った。

お互いに目を見開いていた。

見開いた眼

 

どうする!?

 

体が一瞬にして硬くなった。

ピタリと時が止まったようだった。

長い間見つめ合ったように感じたが実際には2~3秒だろう。

 

マコト氏は慌てて視線を逸らし、くるりと背中を向けると走りだした。

紺色のパーカーが徐々に小さくなり完全に見えなくなった。

 

僕はうなだれて大きな溜息をついた。

終わった……と思った。

それが正直な感想だった。

ベンチに座る人

 

タバコに火をつけ灰になるまでベンチに座っていた。

もしかしたらマコト氏が戻ってくるかもしれない。

いやこれは自己満足な行為であって、それはあり得ないだろうと本心では感じていた。

だが座る人として待ってみたかったのだった。

 

タバコを携帯灰皿の中で揉み消す。

風がだいぶ冷たくなってきていた。

ベンチから立ち上がるとトボトボと歩き出した。

久しぶりに味わう体の芯まで響く緊張感だった。

疲労困憊

 

疲労で思考を停止しようとしている頭で考えた。

これで良かったのだと。

3年もの長い間引き籠り、他者との接触を避けてきたマコト氏。

外出することさえ彼には大冒険だったであろう。

 

それができただけで十分ではないか。

ようやく第一歩を踏み出すことができたのだから。

そう自身を納得させると来た時よりも倍以上に長く感じる道のりを、洗足駅に向かって歩いた。

 

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