四人目の依頼者:秀人氏 1回目
秀人氏からの依頼メール。
『座る人、依頼します。秀人』
実にあっさりとしていた。
この簡潔さの裏側には、深い思いが隠されている様に感じられた。
依頼承諾の返信をすると、暫くしてから日時と場所の指定メールの返信があった。
指定されたのは、京王線千歳烏山駅から徒歩10分程の所にある公園だった。
時間指定は21時。
線路沿いにしばらく歩き、住宅街に向かって一度曲がったところにその公園はあった。
入り口近くに立つ大きな欅の陰から公園内を窺う。
屋外での依頼は初めてのため慎重になった。
公園の規模としては中程度だろう。
周りは背丈ほどの高さのフェンスに囲まれていた。
街灯に照らされた滑り台、ブランコなどの遊具が見える。
その他に三人掛けのベンチが5つ。
公園奥の砂場の前にあるベンチの一つに人影が見えた。
その他に人影は見当たらなかった。
コンクリート製の車止めの間を抜けて公園の中に入り、フェンス沿いに人影に近づく。
ハンチングを被った細身で背の高い男性だ。
体がゆっくりと前後に揺れている。
右手に瓶を持ちラッパ飲みをしている。
帰った方がいい。
引き返そう。
座る人の約束を反故にし、家に帰ろうという思いが浮かんだ。
そうしてしまうことは簡単だ。
今まではそうやっていろんな面倒を避けてきた。
賢明とは言えないが今回は逃げるという行動に強くブレーキがかかった。
一度公園を出て、フェンスを挟んだベンチ後方に近づく。
声が聞こえる。
独り言のようだが抑揚がある。
歌を唄っているのだった。
歌詞に聞き耳を立てる。
僕の知っている曲だ。
尾崎豊の『15の夜』だった。
右手に持っていたのは、ワインボトルのようだ。
相当酔っている。
どうしよう……。
面倒なことになるという事は火を見るより明らかだ。
鞄からタバコを取出し、気付かれないように背中を向けて火をつける。
タバコをゆっくりと吸いながらそっと観察する。
他人の部屋の中を覗いているようで後ろめたさを感じる。
このままここに居てもしょうがない。
タバコを携帯用灰皿の中で揉み消すと、意を決して公園の中に突入した。
人影に向かい一歩ずつ踏みしめるように近づく。
鼓動が強く速い。
味わったことのない嫌な緊張感だ。
ベンチの横に立つ。
男性は気付かない。
街灯の光を遮るように斜め後方に立つ。
僕の影に気づいた男性が顔を上げた。
「あ、あの、座る人ですか!?」
驚きの表情で目を見開き僕を見上げた。
その視線には酩酊と言うより、怯えのようなものが感じられた。
口調は思っていたよりしっかりとしていた。
僕は頷くと鞄から利用規定を取出し、秀人氏の前に突き出した。
威嚇するとか虚勢を張るとかいうつもりはなかった。
緊張していたのだ。
秀人氏は慌てて用紙を手に取ると目を通し、財布から千円を取り出し「あ、よろしくお願いします」と言って俯いた。
相手を委縮させてしまったことを若干後悔しながらベンチに腰かけた。
沈黙。
二人とも酷く緊張している。
居た堪れなさに耐えかねた秀人氏がワインのラッパ飲みを再開した。
その様子を不安でありながらも、どこかでどうにでもなれという投げやりな気持ちで眺めた。
瓶を空にしてしまうとベンチの下からもう一本のワインボトルを取出し、キャップをあけた。
まだ飲むのか……。
呆れと驚きの感情が僕を冷静にさせた。
あらためて男性を観察してみる。
年季の入ったコンバースのスニーカーに色褪せたジーパン。
上着もサイズが大きめな黒いダウンジャケットで、所々から羽毛が飛び出していた。
服装は一言でいえばくたびれた感じ。
ただ、ベージュのハンチングだけは新品のようだった。
このチグハグ感が秀人氏の放つ個性に更に拍車を掛けていた。
一人分離れて座っていてもわかるアルコール臭。
秀人氏の足元を見てみると空きボトルが二本。
もう三本目なのだった。
「話しますよ、これから。そのために、お願いしたんですから」
先程とは違う酔っ払いの口調になっていた。
だが僕と視線を合せようとはしなかった。
「酔っ払いで面倒臭いと思うでしょう。
でも、僕は酒が好きで飲んでいるわけじゃないんです。
飲まないとうまく人と話せないんです。
コミュ障なんです。
コミュニケーション障害なんです。
緊張してしまって、何を話していいのか分からなくなってしまうんです。
無理に話そうとすると、思ってもいない変な事を口走ってしまうんです。
だから人には誤解されてしまいます。
変な人だと思われてしまいます。
だから、だから、僕は30過ぎても彼女ができたことがありませんし友達もいません。
人間が嫌いなわけではないんです。
むしろ、人と上手く関係を気付きたいんです。
でも、上手くいかないんです!!」
絞り出すように、感情を押し殺して話していた直後の突然の大声。
僕は思わず身構えた。
「あ、すみません、本当にすみません。
大きな声を出してしまって。
大丈夫です、帰らないでください。
僕は絶対に暴力は振るいません。
安心してください」
そう言って手を合わせて繰り返し頭を下げた。
そんな彼の様子を不憫に思いながらも、そう言われても……と警戒してしまう。
だが僕は座る人なのだ。
彼と契約したのだ。
一時間彼の隣に座ることを。