第十二話

小説「beside-座る人」:第十二話

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僕は鞄から筆談用のノートとボールペンを取出した。

そして、
『これからコーヒーを注文します。

約束の時間が過ぎてしまっても、飲み終わるまで座っていてもいいですか?』

と書いて提示した。

メモをする男性

 

蒼さんの決断がつかなくて、契約時間が過ぎてしまったことは確かだ。

だが僕が席に座ることが出来なくて、時間が過ぎてしまったことも事実だ。

そんな不確実な場所を指定してきた蒼さんの過失も事実だし、そんな場所を認めてしまった僕の過失も事実だ。

 

テーブル席に落ち着いて10分弱で帰ってしまうのはどうかとも思えたし、情に流されて規則を簡単に変更してしまうのもいかがなものだろうかとも思えた。

短時間でグルグルと考えて出した答えは、規則よりも人情側のものだった。

 

蒼さんは一読し考え込んだ。

その様子を見て僕はただの自己満足な要らぬ提案をしてしまったのではないかと思い、

『8時までの1時間の方がよろしければ、そのように言って頂ければと思います。

自由意思で決めてください』と書いて再度提示した。

喫茶店のコーヒー

 

それを見て「では……リョウさんの提案に甘えさせて頂きます。

リョウさんもこれから自由意思でお過ごしください」と言った。

 

笑顔ではあったが、それは意識的に表情を崩して作られた笑顔のようだった。

僕が思っている以上に警戒しているようだ。

 

「あ、そうそう。忘れていました」と言って、蒼さんは鞄の中から白い封筒を取出し、「よろしくお願いします」と言って封筒を僕に手渡した。

僕も忘れていたので一瞬戸惑ったが「ああ、そうだ」と心の中でつぶやき、封筒を受け取り鞄の中にしまった。

 

その様子を見て蒼さんは不思議そうな表情をした。

お金を受け取る事を忘れていたこと、封筒の中身を確認しないことが疑問に思えたのだろう。

そのことについて質問しようと思ったのか小さく口を開きかけたが、ためらいの後口をつぐんだ。

口をつぐむ

 

 

二人の間にある独特な関係とその距離感。

蒼さんはどのように距離を保てばいいのかと、計り兼ねているようだった。

 

少し間をおいた方が良いと思い、筆談で何か注文するかを尋ねた。

蒼さんはメニューを見ずに「私もコーヒーにします」と言って視線を僕に移した。

 

どうしようかと考えた。

ここはやはり僕が無言の注文をすべきなのか。

そのためらいの様子から察したのか「あ、私が注文しますね」と言って蒼さんは手を挙げてウエイトレスを呼び注文をした。

 

コーヒーが運ばれてくるまでの間「LINEしてもいいですか?」とことわりを入れてから、蒼さんはスマホでLINEをした。

コーヒーが運ばれてきても気づかないほど集中していた。

スマホを持つ女性

 

僕は蒼さんの今いる世界を邪魔しないよう静かにコーヒーを飲んだ。

そして失礼だと思いつつ蒼さんの様子を観察した。

 

髪はセミロングで薄いブラウン。

服装は派手過ぎず地味すぎず、清潔感を纏っているような感じだった。

爪は綺麗に手入れがされていて、薄いピンクのマニュキュアが塗られていた。

 

それに綺麗な二重の大きな瞳と細くて長い手足。

子供の頃、女の子が遊んでいたお人形を僕は連想した。

 

暫くしてメールを打ち終わると携帯画面から顔を上げた。

その表情には切迫感のようなものが漂っていた。

僕は見てはいけないものを見てしまったように思い目を逸らした。

 

「私、終らせなくてはいけない事があるんです」蒼さんがつぶやいた。

視線は窓の外に向けられている。

夜の喫茶店の窓

 

「決断するまで半年近く悩んでしまいました。

でも決めたんです。

もう、そうしなくちゃだめなんです。

もう絶対にブレたくないんです。絶対に」

静かに強い。

だけれど、根底に危うさが漂っているような口調だった。

 

「私はとても弱い、安易な方向に流されやすい人間です。

そんな私を私自身は大嫌いです。

だから自分を変えようと、何度も何度も思ってきました。

でも、いつも流されてしまって……でも、本当に何とかしたいと思っていた時に、偶然に座る人を」と、蒼さんの手に握られたスマホが光った。

光るスマホの画面

 

「あ、すみません」

弾かれるようにスマホをチェックする。

その視線は真剣そのものだった。

 

蒼さんは何かに追い詰められている。

法に触れるようなことに関わっていて、その渦に巻き込まれてしまうのではないか。

関わらない方が良いのではないかと思えた。

 

だがもう一方では、蒼さんからは犯罪の臭いは感じられない。

彼女は見ず知らずの座る人に助けを求めている。

僕には座って話を聞くことしかできない。

けれどそれでも役に立つことができるのであれば、心の負担を少しでも軽くすることができるのならば、座る人として役に立ちたいと思っていた。

ベンチに座る人

 

蒼さんがスマホから視線をあげた。

スマホを両手で握りしめテーブル一点を見つめている。

 

長い沈黙。

 

僕は窓の外に目を向け、緊張感を共有するようにして蒼さんの言葉を待った。

「私、帰ります。ごめんなさい」

そう言うと蒼さんは鞄を引っ手繰るようにして席を立ち、小走りに店を出て行った。

突然の展開に僕にはその背中を見送ることしかできなかった。

 

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