二人目の依頼者:Travis氏 1回目
ユウさんとの初「座る人」から一週間後。
二人目の依頼者からメールが届いた。
ユウさんの一回限りで、座る人は終わるだろうと思っていたため予想外だった。
メールには、
『座る人。実に興味深い。是非お会いしてみたい。Travis』
と書かれていた。
はじめ僕はこのメールをいたずらだと思い削除してしまった。
だが「Travis」がなんとなく気に掛かりもう一度ゴミ箱から取り出し、ネットで意味を調べてみた。
洋楽バンドの名前、映画「タクシードライバー」の主人公の名前らしかった。
一度返信して様子を見てみようと思った。
いたずらだったならば今後は無視をすればいいし、返信がなければそれまで。
という事で、
『ご希望であれば規約を熟読されてから、都合のよろしい日時・場所を明記されたメールをください』
と返信した。
その翌日。
『返信があり少々驚きました。
では、二月十九日、19時に新宿駅西口、思い出横町の焼き鳥屋Tで落ち合いましょう』
と返信があった。
新宿の思い出横町は有名なため場所は知っていた。
『了解しました。当日に迷わないよう性別と外見の特徴をお知らせください』
と、座る人初回のユウさんとの反省点を踏まえこう返信した。
Travis氏からの返信メールには,
『Travis=おじさんです。サングラスをして、店の一番奥のカウンター席に座っています』と書かれていた。
了解し、「座る人」を引き受けた。
週末の夜。
焼き鳥屋Tは混雑していた。
店内は思い出横町の他の店と同じように狭く、人がギッシリと入っていた。
焼き鳥を焼く煙とタバコの煙、アルコールの臭い、仕事で疲れた体から発せられる加齢臭とが、混然と店内に立ち込めていた。
アルコールの力で鼓舞された活気に満ちた空間に少々気圧された。
だが入り口で突っ立ていても邪魔なだけだ。
「座る人」を遂行すべく気持ちを建て直して改めて店内を見回し、店内奥カウンター端の丸椅子に座るサングラスのおじさんを確認した。
隣の席は予約してあるのか開いている。
僕はまさに店内を縫うようにしてその席にたどり着いた。
背後に立人の気配に振り返り、蛍光灯の光を反射するサングラスが僕を見上げた。
緊張を悟られないよう努めて平静を装って頭を下げた。
「あ、君が座る人?」
頷く。
「へぇ~、君が……。へぇ~……」
サングラスの瞳が僕の全身をしげしげと見つめた。
「あ、ごめんごめん。ここ、予約しておいたから座って」
そう言ってバンバンと椅子のクッションを叩いた。
右隣の年季の入った丸椅子に腰かける。
クッションは固く、長くは座っていられないように感じた。
「いやぁ~正直、来ると思ってなかったよ」
店内の喧騒に負けないよう大きな声だった。
「それに、なんか……イメージが違った。
うん。なんか、そう、どう言ったらいいのかな……もっとこう……う~ん……難しいな。
そもそも、座る人のイメージなんてどう持てばいいのか、分からないからね。
前代未聞だから」と言って笑った。
アルコールで理性の抑制が解けている笑いだと思った。
僕が来る前からだいぶ飲んでいるようだった。
サングラスをかけた中年の酔っ払い、Travis氏をあらためて観察してみる。
Travisという言葉の響きがお世辞にも似合うとは言えない風貌だった。
小柄で小太り。
面長で大きな顔。
白髪が半分ほどを占める頭髪は頭頂部が薄く、額がだいぶ広くなっている。
服装は一応は清潔感がありくたびれた感じではなかったが、ティアドロップ型のサングラスが似合うセンスは感じられなかった。
細い左の手首に巻かれた大きな腕時計が目を引くワンポイントになっていた。
「ま、とりあえず乾杯しようか。何飲む?」
僕は目の前の年季の入ったメニュー表を取り上げコーラを指差した。
「え? 酒は飲まないの? そっかぁ……」
アルコールを強要する様子ではなく、なんとなく淋しそうにサングラスが僕を見つめた。
一生懸命盛り上げた気分の腰を、不意に折られてしまったように感じているようだった。
僕はこれは早い方がいいと判断し、規約を鞄から取り出しカウンターの上に置いた。
「ん? あ、はいはい」
Travis氏は規約を取り上げ目を通した。
その様子からは酔っ払いの雰囲気は感じられなかった。
酔った様子には演技が加味されていたのかもしれない。
「あ、じゃ、先に払った方がいいね」
ジャケットの内ポケットから茶封筒を取出し僕の前に置いた。
僕は茶封筒を手に取り鞄の中にしまった。
「中を確認しないの?」
頷きお金目的ではないからですと胸の中でつぶやいた。
カウンター前の調理場から「お待たせいたしました」とコーラが差し出された。
グラスを手に取り口をつけようとすると、
「あ、待って待って、乾杯しよう!」
と言って瓶ビールをグラスに注いで持ち上げた。
「あ、なんて言ったらいいのかな……? ま、とりあえず乾杯!」
僕たちは小さくグラスをぶつけ合った。
僕は一口コーラを飲み、Travis氏はグラス一杯のビールを喉仏を大きく上下させてゴクゴクと飲み干した。
「いやぁ~、美味い。手垢塗れの表現だけれど、やっぱりこの一杯のために生きてるんだなぁ~て思うんだなぁ、うん」
アルコールが好きではない僕は頷くことができなかった。
「えっと、あ、1時間だよね。今からでいいかな?」
左腕に巻かれた大きな腕時計を指差しながら言った。もう10分ほど過ぎていると思いながらも、面倒なことになりたくないという思いから頷くしかなかった。
「じゃ、えっと、あ、まずビールが無いから、もう一本注文して……いや、ビールはもういいかな。
時間が短いから、冷酒を飲もうかな」
冷酒の瓶が運ばれてきた。
手酌で御猪口に酒を注ぐその横顔にはどこか緊張感が漂っていた。
緊張しているのは僕だけではない。
そう思うと少し肩の力が抜けた。
「では、頂きます」
御猪口になみなみと注がれた酒を一気に飲み干した。
この人は酔っぱらうつもりなのだ。
そう思うと先程とはまた違う緊張を感じた。