第一話

小説「beside-座る人」:第一話

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四人部屋。
窓際のベッド。
文子さんが寝ている。
ずっと寝ている。

文子さんは一日のほとんどをベッドの上で寝て過ごす。

時々目を開けるけれど、もう僕のことは分からない。

声をかけても無表情のままだ。

 

僕にとって文子さんは春の陽だまりだった。

文子さんは父方の祖母。

両親共働きだった僕に、淋しさを感じさせることのない存在。

僕の記憶の中には、いつでもどこでも静かに微笑んでいる文子さんの記憶しかない。

木漏れ日

 

今思う。

僕はちょっと変わった子供だったと。

幼稚園児の頃から友達とは遊ばずに文子さんの周りでずっと過ごしていた。

絵本を読んだりゲームをしたり、テレビを見たり。

 

そんな僕を両親は心配した。

小学6年生の時に文子さんは家からいなくなった。

理由を母に尋ねると、病気になったから入院したのだと話した。

何の病気かと尋ねると、頭の病気で物を憶えられなくなったからだといった。

でも僕にはそんな記憶はなかった……。

 

僕の名前は高島亮。
22歳。

倉庫でピッキングをして働いている。

仕事の内容はおもに物品の管理と出入庫の確認。

この仕事は高校生の時にアルバイトで始め、卒業と同時に正社員として就職した。

倉庫

 

土日が休み。

8:45~17:15の就業時間。残業はほとんどなし。

で、手取りで16万。

満足できる金額ではないけれど、僕にはあまり不満はない。

 

競争がなく、広い倉庫で必要以上に人とかかわらず、余計な気を使わずに仕事ができるし、決められた仕事量をこなせば誰にも文句はいわれない。

人と話すことが苦手な僕には天職だと思う。

 

趣味はモン・サン・ミシェル。

満潮の海に凛としてたたずむ、モン・サン・ミシェルが好きだ。

観光地で賑わい過ぎているとかメジャーすぎるとかいう批判があるけれど、そんなことはどうでもいい。

僕の中の孤高のイメージ。

それを裏切らない事が大切なのだ。

モン・サン・ミシェル

 

で、どれぐらい好きなのかというと、ネットの海からモン・サン・ミシェルの画像をありったけ収集する。

そしてそれらの画像をもとに、レゴ・ブロックで2Kのアパートの一室を埋め尽くすほどの大きさの、詳細にこだわったレプリカを作成する。

それぐらいモン・サン・ミシェルが好きだ。

 

だからと言って僕はキリスト教信者ではない。

無神論者と声を大にしていうほど大げさではないけど、信仰している宗教はない。

モン・サン・ミシェルはたまたま教会だったけれど、スペインのセゴビア城、フランスのシャンボール城、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城も好きだ。

系統は違うけれど、日本ならばジャンクション(高速道路の立体交差)が好きだ。

僕は堅固で巨大な物の圧倒的な存在感に惹かれるようだ。

高速道路のジャンクション

 

学生時代はこれといって特別なことはなかった。

いじめられたことはなかったし、クラスの中心にいることもなかった。

 

一言でいえば地味な人。

クラスの中堅どころ、つまり活動的で目立つ男子群と、暗いと言われる男子群の中間にいる、最も一般的? な男子群に属し、そこに僕がいてもいなくても、さして問題にはならない存在。

 

中学生時代はなんとなく入った美術部に属していたけれどほぼ幽霊部員。

高校生時代は帰宅部。

図書館か映画館、本屋か山手線での人間観察、一人で過ごす時間がほとんどの放課後だった。

 

他人からは淋しい人に見えたかもしれないけど、僕としては贅沢で楽しい時間だった。

あまり人には理解されないけれど。

幸せな孤独

 

家族構成は文子さんと両親と僕だった。

父は市役所に勤める公務員で大体19時には帰宅し、風呂に入って食事をして書斎にこもって本を読む。

とても静かな人だった。

 

僕は父に怒られた記憶がない。

父は母と夫婦喧嘩というものをしたことがないように思う。

だからテレビで見る夫婦喧嘩というものが不思議に感じられた。

 

そんな父が亡くなった。

僕が高校一年生の時だった。

死因は脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血。

仕事場で突然倒れ、救急車で病院に運ばれたころには亡くなっていた。

突然死だった。

お葬式

 

母は真面目を絵に描いたような人だった。

病院で常勤の医療事務職として働いていたけれど、夕食に出前を頼んだりお弁当を買ってきたりしたことが一度もなかった。

栄養バランスを考えた夕食を必ず作っていたし、家の中はいつもきれいに掃除されていた。

 

そんな母が父が死んでから一変した。

食事はスーパーの惣菜が中心となった。

シンクには洗い物が溢れ廊下には埃が舞うようになった。

洗い物にあふれたシンク

 

そんな中でも一番の変化は、喫煙と飲酒が習慣化された事だった。

はじめは咽ながら吸っていたタバコと吐きながら飲んでいたウイスキーの水割りが、一年後にはチェーン・スモーカー、ストレートのウイスキーを飲むようになっていた。

 

僕にはそんな母の様子を咎めることはできなかった。

酔った母はストレスが溜まるから、眠れないからという言い訳を繰り言の様に呟いていた。

キッチンドランカー

 

母は僕が高校を卒業してまもなくこの世を去った。

無くなる半年ほど前には、週末には必ず重度の二日酔いになっていて、吐瀉物には血が混じっていた。

 

死因は胃がん。

どうしようもない体調の異変を認め、受診した時にはすでに手遅れだった。

 

文子さんが居なくなり、父と母が死んだ。

その過程で僕の心の中心には、喪失感というものが強固に形成された。

人は必ず僕から去っていく。

人生に諦めという言葉が刻印された。

諦観、あきらめの人生

 

こんな感じで22年間生きてきた。

仕事以外はほとんど一人。

仕事帰りにたまに職場の先輩に誘われて赤ちょうちんに行くけれど、僕はほとんど話さない。

先輩達がおごってくれるので、夕食代を浮かすために黙々と食べるのみ。

 

野球、ギャンブル、家庭の話。

話題が合わないので話しようがない。

だから僕はあまり飲みには誘われない。

 

アルコールを飲むと体調が悪くなってしまうので、飲みに誘われるのは正直迷惑だ。

だから淋しいどころかありがたいことだと思う。

孤独を楽しむ

 

休日に話すのはコンビニの店員ぐらい。

といっても、ハイ、イイエ程度。

スマホは持っているけれど電話はもちろんメールもLINEも来ない。

友達と呼べる存在がいない。

 

孤独なんだ。

基本的に一人が好きなのでこんな感じで生きてきて、この先もずっと一人で生きて、一人で死ぬものだと思っていた。

 

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